【書評】諦める力③【現役を引退した僕が見たオリンピック】
こんにちは、こうた(@arakou05)です。
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Webライター時代のこと語ってます >> 【経験談】新卒フリーランスは甘いのか?【2年間を振り返る】
①から読みたい方はこちらです。
>> 諦める力①/マナブの宿題【諦めたくないから諦めた】
「現役を引退した僕が見たオリンピック」というテーマにおける目次は以下の通りです。
- 「勝てなくてすみません」への違和感
- なぜ負けたかわからない
- 自分はどの程度自由か
- 論理ではなく勘にゆだねる
- 「負けて悔しいでしょう?」と聞くのは残酷か
- 「夢がかなう」人はごくひと握り
- 一意専心よりもオプションを持つこと
- コーチを雇う欧米人、コーチに師事する日本人
僕が気になった目次について紹介していきます。
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自分はどの程度自由か
人は自分では意識しないほど瞬間的に目にしたものに対しても、再び見たときに好ましいと思う傾向があるそうです。
自分ではコマーシャルなんて見た記憶がなくても、何度か視界に入っていれば自然とスーパーでその商品を手にしてしまいます。すると、以下のような疑問が生じる。
- 自分の考え方の癖、自分の視点がいったいどの程度自分自身でコントロールできているのか?
- 自分という存在は、自分に今まで様々な影響を与えたものの集合体であるという感じが抜けない。
- 自分に影響を与えたものについて考える自分自身が、すでに何かに影響を受けてしまっている。
- 確かな自分はどこにもいない。だからこそ論理的であろうとするが、確固たる自分がいないので、結局仮決めの自分が仮決めの答えを出しているのでは。
- 自分さえこんなに不確かなのだから、そういう人間が寄り集まっている世間そのものが不確かである。
「夢がかなう」人はごくひと握り
成功談と失敗談のバランスは、控えめにいってもよくありません。
とりわけオリンピックに関するかぎり、それは顕著なかたちで現れています。
「あのつらかった時期を耐え抜いてきたからこそ、ここまでこられたのです」
世間の人がそれを聞いたとき、つらい時期を耐え抜いたら成功できると一般化してしまうのは間違いです。
ほとんどの人にとっては、つらい時期を耐え抜いても成功しないことが多いでしょう。
新聞記事やテレビでは、金メダリストや世界的に成功したアスリートの特集に、必ずと言っていいほどこのフレーズが登場します。
- 「諦めなければ夢はかなう」
- 「夢を諦めない強いハートがあったから、成功できた」
「誰も責任を取らない」という観点から、諦めなければ夢はかなうと指導して、もしかなわなかったときには、こういう納得の仕方を押しつける。
「成功しなかったかもしれないが、夢を追いかけた日々が尊いんだよ」
大事なことは、「自分はどのくらいの確率で勝てる勝負をしているのか」ということを冷静に見ることです。
一意専心よりもオプションを持つこと
「一意専心」という言葉を知っていますか?
「僕には陸上しかありません。陸上が僕の人生です」
そう言うことで多くの人が納得し、保険にもなります。しかし、本心からそれだけ思って競技に取り組んでいたとしたら、かなり苦しくなってきます。
保険になることはあっても、逃げ道がなくなってしまいます。
批判をかわす言い訳にはなっても、自分の人生に対しては相当なギャンブルになってしまうでしょう。
ただ、アスリートが「私はこういう道もあったかもしれないけど、とりあえず今はこれをやっています」と発言したら、日本では批判される可能性が高いでしょう。
- 「何?そんな不真面目な姿勢でやっていたのか」
- 「だから結果が出ないんだよ」
失敗したとき、一意専心で取り組んでいたアスリートは許してもらえるが、数あるオプションのなかからあえて選んでやっているという姿勢にアスリートは叩かれてしまいます。
例えば、プロサッカー選手の本田圭佑選手はまさにそうです。
なのでサッカーで結果が出なければ叩かれてしまいます。
でも、今やそんなことを言う時代ではありません。オプションは必要不可欠になってきています。
ただ、オプションを持っている選手はそれにコミットできるので、競技ができない気を紛らすことができますし、将来の不安などもないと思います。
これはアスリートに限ったことではないです。会社員やフリーランス、況してや学生にも言えることでしょう。
この機会に、一意専心で何かを取り組んでいた人はオプションを探してみてください。
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次回の記事はこちらです。
>> 諦める力④【他人が決めたランキングに惑わされない】