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【書評】諦める力⑤【人は万能ではなく、世の中は平等ではない】

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今回は「諦める力/勝てないのは努力が足りないからじゃない」の第5章の「人は万能ではなく、世の中は平等ではない」について書評していきます。人生は基本的に理不尽です。ただそれも考え方次第。本記事で深掘りしていきます。

こんにちは、こうた(@arakou05)です。

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Webライター時代のこと語ってます >> 【経験談】新卒フリーランスは甘いのか?【2年間を振り返る】

①から読みたい方はこちらです。
>> 諦める力①/マナブの宿題【諦めたくないから諦めた】

「人は万能ではなく、世の中は平等ではない」というテーマにおける目次は以下の通りです。

  • 不条理というものについて
  • 生まれによる階級、才能による階級
  • あなたにとっての苦役は、あの人にとっての娯楽
  • 「絶対に正しい」ものがあると信じているアメリカ人が苦手
  • 「リア充」なんて全体の10%もいない
  • 「誰とでも」は「誰でもいい」と同じ
  • 「オンリーワン」の落とし穴
  • アドバイスはどこまでいってもアドバイス
  • 「あなたのためを思って」には要注意

僕が気になった目次について紹介していきます。

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不条理というものについて


ここで引用して紹介する話は、東日本大震災で母親をなくした陸上部の子の話です。

「今もなんで僕の母親だったのかがわからないんです」

ものごとには因果があり、努力や苦労は報われると世間では言われているけれど、災害で犠牲になった人を前にして僕は因果なんて何にもないと感じた

何か理由があって犠牲になったわけではなく、ただそうだったとしか言えない。ただ不条理があるだけだ。

自分が自分であることに理由はなく、ものごとにも因果なんてなく、真面目な人に災害が降りかかり、何も考えずに平穏無事に暮らしている人もいる。

世の中は不条理で、それでも人は生きていくしかない

コロナ禍や豪雨、台風、地震などの災害は、誰にも予測できません。被害に遭うのは、非常に不条理なことです。

でも、その現実を受け入れて生きていかなければいけないという、理不尽さ。僕は大きな災害に遭ったことはありません。

実際にあったことをイメージしても、それは単なる空想で全く無意味なこと。その時々で、対応していかなければならないのです。

やはり、これからは「変化に対応できる人」にならなければいけないですね。

あなたにとっての苦役は、あの人にとっての娯楽


才能のある人は、練習の一部は娯楽になっている可能性があります。

しかし、才能のない人たちにとってみたら、練習は苦役でしかありません。

例えば、このように言われたことがある人はいるでしょうか?

「ほら、イチロー選手は何千回、何万回とバットを振ったからこそあそこまでの選手になったのだから、きみたちもがんばって振りなさい」

才能のない人には、イチローと同じ練習量は苦痛であるばかりでなく、成果につながらないという意味で二重につらいことでしょう。

スポーツでないですが、よくこんなフレーズも耳にします。

「寝ないで取り組んだ成果です」

日本では「寝ないでやる」ことが、ともすれば勤労の美徳のようにいわれます。

ただ、寝ないで取り組めるぐらいのことだから、結果としてそうなったというだけの話でしょう。

そうでなければ「寝ないでやらされた」となるはずで、そのおかげで成功したという実感は湧いてこないと思います

いくら好きでも、寝ないでやるのは体力的にもきついと思いますが、そのきつさが一般の人で100としたら、才能のある人はおそらく30くらいにしか感じてません。

努力なしに成功を手にすることはできないでしょう。

しかし、人によって努力が喜びに感じられる場所と、努力が苦痛にしか感じられない場所があります。

苦痛のなかで努力しているときは「がんばった」という感覚が強くなります。それが心の支えにもなるのです。

ただ、がんばったという満足感と成果は別物です。

以下のようなことを折に触れて自分に問うことで、何かをやめたり、変えたりするタイミングというのはおのずとわかってくるものだと思います。

  • さほどがんばらなくても、できてしまうことは何か。
  • 今まで以上にがんばっているのにできなくなったのはなぜか。

「あなたのためを思って」には要注意


何かを諦めた人が取る行動は、以下の2パターンに分かれます。

  • 潔く今とは違うフィールドに移り、再び淡々と成功に向かって動き始める人
  • 諦めていない人を自分の仲間に引き入れようとする人

後者の人の心理を言葉にすると、以下のようになります。

  • 「ずるい、不公平だ」
  • 「僕が諦めたのに、どうしてあいつは諦めていないんだ」

こういう人は、自分は不本意ながらも諦めたのだから、生き生きと夢を追いかけ続けている人が気になって仕方ないのです。

勝負の舞台から降りた途端に勝つことの無意味さを語り、勝つためにがんばることの無意味さを熱弁します。

先生でも友人でも、「おまえのためを思って」などと言われれば言われるほど、距離をおいてしまう。

「きみは絶対に変われる」という熱意は大事だけど、相手の何を変えようとしているかでだいぶ違います。

やっかいなのは自分が思う「正しい」方向に相手を変えようとする人です。その場合、「あなたは今よくない状態にある」という見方が前提となってきます。

それが「よくない」というのはあくまでも主観です。

あなたが今やっていることを諦めろと言ってくる人は、「自分と同じになってほしいから」そう言っているのか。

客観的に見て、勝算はないからやめろとドライに言っているのか。それを見極めたほうがいいでしょう。

人の夢は本来自分に迷惑がかかるものでないかぎり、他人には口出しすることができないのは明らかです。

それも諦めた人は、他人が生き生きしていることが気になって仕方なく諦めさせたい。

だから相手に口出しをするための接点として「正義」や「親切」が使われるのです。

「あなたのためを思って」という言葉には、2つある。

  • 本当にこちらのためを思ってのもの
  • その人の鬱憤を晴らすためのもの

また、以下のようなことを言えるほど本心をさらけ出す勇気がないから、攻撃することで人を引きずり下ろそうするのです。

  • 本当は欲しかったものがあって、一生懸命頑張ったけど手に入らなかった。
  • 挫折からうまく立ち直れなかった人が嫉妬に染まる。
  • 自分が持っていないものを他人が持っているだけで恨めしい。
  • とにかく幸せそうな他人が羨ましい。

こうした人の根幹には「人と自分が同じである」「同じでないといけない」という平等願望あるのでしょう。

犠牲と成果はバランスするという世界観から抜け出られていない。

世の中というものが不平等で、不条理だということが上入れられないのです。

下記のような感覚を、西洋哲学の言葉では「ルサンチマン」と言います。

  • 「なんで向こうはあんなに裕福に生まれてきたのに、こっちは貧乏なんだ」
  • 「同じ努力をしているのに、なんでああいつにはできて、なんで俺にはできないんだ」
  • 「こっちは諦めろと言われてきたのに、どうして諦めろと言われないやつがいるんだ」
ルサンチマンは、支配される者の支配者に対する恨み、下の階級の人たちの上流階級に対する敵意と訳されます。

つまり、嫉妬や執着と似た感覚です。

この感覚は、万国共通で、ルサンチマンの感覚は、西洋にかぎった話ではないでしょう。

東洋では、そうした感情を鎮めるための1つの考え方として、「諸行無常」に行き着いたのです。

「諸行無常」とは、「この世のすべてのものは絶えず移り変わり消滅するもので、一刻の間も同じ状態を保つことがない。仏教の基本的な考え方の1つで、人生のはかなさをいう言葉」という意味があります。

人はもともと不平等に生まれついていて、よい行いをしても早く死ぬかもしれないし、悪事を重ねても長生きをするかもしれない。

自分が成功してもその成功が長続きするわけではなく、自分が失敗しても失敗したまま終わるわけでもないのです。

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次回の記事はこちらです。
>> 諦める力⑥【自分にとっての幸福とは何か】