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【書評】諦める力⑥【自分にとっての幸福とは何か】

Book(書評)

今回は「諦める力/勝てないのは努力が足りないからじゃない」の第6章の「自分にとっての幸福とは何か」について書評していきます。自分にとって何が幸せか知ることが幸せになる第一歩です。本記事で深掘りしていきます。

こんにちは、こうた(@arakou05)です。

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Webライター時代のこと語ってます >> 【経験談】新卒フリーランスは甘いのか?【2年間を振り返る】

①から読みたい方はこちらです。
>> 諦める力①/マナブの宿題【諦めたくないから諦めた】

「自分にとっての幸福とは何か」というテーマにおける目次は以下の通りです。

  • 高倉健さんはなぜヤクザ映画をやめたのか
  • 計算、打算は戦略の基本
  • 手に入れておくことの幸福、手放していくことの幸福
  • 「バカヤロー、おまえがなれるわけないだろ」
  • 「やめてもいい」と「やめてはいけない」の間
  • 他者に対する期待値を低くする
  • 世の中は平等ではないから活力が生まれる
  • モビリティを確保する
  • どうにかなることをどうにかする

僕が気になった目次について紹介していきます。

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手に入れておくことの幸福、手放していくことの幸福


銅メダルに慣れてしまい、幸せを感じにくくなったときに金メダルをとったらもっと幸せになれるのだろうかと考えてみた。

たぶん、違うなと思った。

そこで、どういう状態が幸せなのだろうと考えてみた。

他人由来の幸福は、つまり移ろいやすい世の中の評価の中心に振り回され続けることになります。

そして未来にゆだねる幸福は、ずっと追いかけ続けてつかんだと思えば慣れていしまい、もっともっとと加速するでしょう。

幸福は外や先になく、今ここにしかないのです。

何でもかんでも手当り次第に手に入れることで、幸福が得られるわけではありません。

むしろ、ある段階がきたら「もうこれはいらない」と手放していくことで、幸福が近づいてくるのではないでしょうか?

「何も諦めたくない」という姿勢で生きている人たちは、どこか悲愴です。

  • 仕事も諦めない
  • 家庭も諦めない
  • 自分らしさも諦めない

なぜなら、幸せになりたいからです。でもこうしたスタンスが、かえって幸せを遠ざける原因になるでしょう。

むしろ、何か1つだけ諦めないことをしっかり決めて、残りのことはどっちでもいいやと割り切ったほうが、幸福感が実感できるような気がします。

あれも、これも手に入れたいという発想の行き着く先は、つねに「できていない」「足りていない」という不満になってしまいます。

「やめてもいい」と「やめてはいけない」の間


期待値が低いとチャレンジしやすい気持ちになるのは、成功しなければならないという義務感から解放されるからです。

著者の為末選手は、母親から「陸上なんかいつでもやめていい」と言われていて、それでかえってつらい時でも続けようと気になったそうです。

「やめていいんだけど、やめたくない」

「やめてもいい」と「やめてはいけない」の間に「やめたくない」という心境があります。

やめてはいけないことは「やらなければならない」ことです。つまり、ノルマのことを指します。

いくら好きなことでも、ノルマが課せられると楽しくなくなるでしょう。

以下では、ある心理学の実験を紹介します。

子どもが自発的にやっていることに報酬を与えると、モチベーションが下がることがわかった。

報酬というのは、義務を果たしたことに対するご褒美です。

ご褒美がもらえなくても面白いからやっていたことが、義務として強要された瞬間につまらなくなってしまうのです。

褒めて伸ばす、という考え方があります。

この考え方そのものは悪いことではありません。

ただ、たとえば「速く走れたら褒めてもらえる」という条件づけがあると、勘のいい子どもは「速く走れなかったら褒めてもらえない」と理解するでしょう。

人は、褒められたり報酬を与えられたりすることで、遊びの感覚が薄れていきます。

「今」に意識をおけば、じつは努力をしていること自体が報酬化している場合があります。

将来の結果が報われるかどうかわからなくても、「今が楽しい」という、その状態こそが報酬になっているのです。

それをやったら何の得になるんですか

最近の若い人はよくこんな問いかけをしてくる。

「やめてはいけない」こと「やらなければならないこと」でがんじがらめにされている気がします。

「それをやったらこんないいことがある」と言うのではなく、「そんなことしても得にならないよ」と言う「優しさ」もあるでしょう。

得にならなくても楽しいからやりたいな」という感覚をたくさん味わうことが、自分の軸をつくっていくことにつながるのです。

今やすべてがつながって、何でも見える世の中になったことで、以下のように際限なく成功の階段をのぼり続けないと「こんなしょぼい成功で満足していいのか?」という罪悪感や未達成感があります。

  1. 町民大会で終われなくなってしまったという感じがする
  2. 町民大会で勝ったら市大会に進む
  3. そこで勝ったら県大会、全国大会
  4. 果ては、オリンピック

もちろん、より高みを目指すのは価値があることです。

しかし「自分はここまででいい」という線引きがしにくい時代になっていることは間違いありません。

「やめてもいい」という発想は「自分がいいと思うところまででいい」ということです。

幸せや成功の度合いにランキングなどありません。

他者に対する期待値を低くする


人生は自分で選べるものだという実感がある人と、実感がない人では、想定外のことに対するリアクションが違います。

アスリートの場合でいうと、コーチに怒りをぶつける人がいます。

「コーチが言ったとおりにしたのに、負けたじゃないか」

そのとおりにやれば、自分は大丈夫なはずだ。

そこには、まず自分が何かを選択するという概念がすっぽりと抜け落ちています。

コーチを選んだ自分が最初にいるはずなのに、それに気づいていないのです。

為末選手は、コーチにそんなに期待してはいけないと言っています。

というのも、世の中には自分より桁違いに賢くて、未来が正確に見通せる人がいるわけではないからです。

以下のようなことを出発点にしていれば、想定外のことが起きたり、自分の思いどおりにいかないことが起こった場合に、相手を責める心境にはならないでしょう。

  • 「人間だから、間違えることもある」
  • 「どんなに優秀な人でも、わからないこともある」

実際問題として「なんでこんなことになったんだ、責任者出せ!」とわめき散らすよりも、「この事態をどうやったらうまく切り抜けられるか」ということを冷静に考えたほうが、ものごとが好転する確率は高くなります。

人生には、想像もしていないところから災難が降りかかることがあります。

そんな「とばっちり」に直面したとき、人生を短期的に見ているかぎり、とばっちりはあくまでもとばっちりにしか見えません。

そして、どこかにいるはずの「なんでも知っている偉い人」に対する期待値が高い人ほど、どうしようもないとばっちりが起きたときのダメージは大きいでしょう。

人生を長い目で見ると、とばっちりが起きてよかったと思えることは結構あります。

わが身に降りかかってきた災難が、そのあとの人生の転機になることもあります。

他者に対する期待値を低く持つことで、難局は好機になる可能性も秘めているのです。

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